海外から日本へ!クリエイターになる道筋~新卒1年目の日常~
こんにちは。23卒のタカハシです。
この記事では、Zenkenとの出会いと、新卒の1年間で何を学んだかなどについて書かせていただきます。
「日本での生活経験ゼロ」の外国人がなぜ日本で就職?
いきなりですが、誰かが私の顔や名前を見たとき、私から何の説明もしなければ、きっと日本人だと思われると思います。
でも私、じつは、Zenkenに入社するまでは日本での生活経験ゼロの台湾育ち!日本と台湾のハーフです。
生まれは日本ですが、18年間台湾で育ち、高校でインターナショナルスクールに通ったことがきっかけで、大学はアメリカのマサチューセッツ州にあるボストン大学に4年間留学しました。
大学ではビジネスマネジメントとホスピタリティの二重専攻(ダブルメジャー)で、2022年の5月に卒業しました。
▲大学卒業当時、ルームメイトと学園で撮った写真です
今まで一度も日本に住んだことがない私は、日本で生活することにとてもキラキラ憧れていました。
ちなみに家では、母と日本語、父と中国語で話すという環境で育ったため、日本語を学んだことは一切ありません。私の日本語はすべて母との日常会話で身についた感じです。
そのため、日本語を話せはするけれど、「自分は日本人だ!」と言い切れない部分がありました。
そのことがきっかけで、
① 昔から憧れていた日本での生活をする
② 日本に対しての理解を深める
③ 日本語を流暢に話せるようにする
上記を叶えるために、日本の外資系ではなくバリバリの日本企業で働きたいと思いました。
なぜZenken?
Zenkenとの出会いは大学4年生の秋のボストンキャリアフォーラム、略して「ボスキャリ」でした。
ボスキャリは、年に一回ボストンで100社以上の企業が一堂に会する、世界最大のバイリンガルジョブフェアと言われていて、海外経験のある人材に向けた就活イベントです。
その年はまだコロナ明けだったため、イベント自体は中止になり、すべてオンライン参加になりました。私はマーケティング職を希望しており、求人票でなんとなく自分が求めている仕事内容と合っていれば全て応募していました。その中の一社がZenkenでした。
応募後、説明会の連絡があり、時差がある中、朝の4時に参加した覚えがあります。
そこに登場されたのが松島取締役でした。様々な企業の説明会に参加した中で、松島取締役のお話だけは内容がちゃんと頭に入ってきました。
一般的な説明会は、パワーポイントなどを使って会社のことを細かに説明しており、集中して聞き続けるのが難しい説明会ばっかりでした。ですが、松島取締役の話し方はまるで友達みたい(!?)な感じでとても親しみやすいと感じました。
そのままスムーズに選考に進むことができ、二次面接で黒田部長とお話しする機会がありました。(黒田部長は、現在私が所属するメディアクリエイション事業部の部長です!)
黒田部長とはクリエイティブの話に花が咲き、最後にはぜんぜん選考に関係がない、お互いの好きなスイーツの話で盛り上がりました(笑)。これまでにも違う企業の面接はありましたが、黒田部長との面接は一番自分らしくいられたことを今でも覚えています。
日本語は、英語や中国語以下のレベルで、中々流暢に話せない場面や、言いたいことを日本語でうまく表現できないことは何度もありました。大手企業の面接官から「あなたの今の日本語レベルでは足りない」といった発言を受けたこともありました。しかし、黒田部長は私の完璧ではない日本語を理解するよう努力してくださり、何度も「気軽でいいよ」とお声がけして下さいました。緊張しながら、面接官が聞きとりやすいキレイな言葉を必死に考えるのではなくて、自分の本音や、やってみたいことを全て言い切れたと感じた面接はこれが初めてでした。
黒田部長との面接で、私は言語の壁をあまり感じませんでした。
同時に、黒田部長がありのままの自分を評価し、理解する努力をして下さったと感じました。このことで、日本での初めての就職先はZenkenがいいと思ったのです。
入社後すぐから取り組んでいたお仕事
私は、同期の23卒よりちょっと早い、2022年の10月に入社しました。
入社直後は、海外IT人材事業を推進するダイバーシティ事業部に配属されました。
最初に任されたお仕事は、メールアタックや商談の同席でした。
その後CSチームに異動し、英訳された求人票の英語のダブルチェックや、求人票のデータを「Yaaay(イエーーイ)」(日本で働きたい海外エンジニアとIT人材を採用したい日本企業のマッチングサイト)のプラットフォーム上に上げる作業などを担当しました。
その後、私がクリエイティブやマーケティングに興味がある事を上司の志穂部長に相談したところ、「Yaaay」のユーザー獲得のためのSNS広告のデザインと、グーグルアナリティクスを使った広告の分析を任せてもらいました。
私はデザインを学校で専門的に学んだことはなかったのですが、デジタルデザインには昔からとても興味があったため、初めて自分が好きなことが業務に生かせる!と実感しました。
毎日熱心に広告デザインや分析に取り組んだところ、(具体的な数字は覚えていませんが)フェイスブック広告で、CPAがワンコインになるぐらいまで成果を出すことができました!さらに、1週間でユーザー数を1000人以上増やすこともできました。
クリエイティブの仕事が楽しい!と思っていたころ、動画ディレクションや写真撮影など様々なクリエイティブワークを行うメディアクリエイション事業部のメディアクリエイト課に異動となり、ここから制作者としての仕事に本格的にチャレンジすることになりました。
現在の日々は、主に動画編集、動画のディレクション、写真撮影のアシスタントの仕事をしています。
配属されたときには動画編集がまったくできなかった私でも、日々動画の基礎を丁寧に教えてくださるメンターの佐野さん、聞けばなんでも真摯に教えてくださる先輩の井上リーダー、そしていつも陰で支えてくださる絵里香主任のおかげで、いまはクライアント様のショート動画やYouTube動画の編集を任されております。
▲動画チームでカッコイイフォトシュートをした時の写真です(左:井上リーダー、真ん中:絵里香主任、右:佐野さん)
はじめての動画ディレクションに悪戦苦闘、そして感動!
そんな私が、動画チームに入って初めてディレクションを任せていただいた仕事が、2023年の全納会(全社総会)で放映するための、Zenkenジュニアボード第2期のメンバー紹介動画です。
この案件では、動画の企画、構成、BGM、絵コンテ、編集、撮影、進行管理など、ディレクションから制作まですべてを自分で一から担当しました。
半年前は動画編集の経験がゼロだった私ですが、この案件のおかげで自分の半年での成長を実感することができました。動画チームの皆様が全力でサポートや指導してくださったおかげで、想像以上のクオリティーの作品ができたと思います!
撮影に快く協力くださったジュニアボード第2期メンバーの皆様にも感謝しております!
作成の過程の中で難しかったのは、構成を考える段階でした。ターゲット、イメージ、伝えたいメッセージなどを考えたうえで構成を考えないといけませんでした。構成を考えるのはとても楽しいことですが、同時に自分の中では一番苦しく、もっとも難しいステップでした。何度も黒田部長や絵里香主任と壁打ちをして、やっとオッケーの指示をいただき、撮影の準備に取り組みました。
そうして苦労して完成した動画は、全納会の会場の大きなスクリーンで放映され、500名近い人たちに見てもらうことができました。全納会直後に、ダイバーシティ事業部時代の上司であり、ジュニアボード第2期メンバーでもある志穂部長から「素敵な動画をありがとう」という言葉をいただけたことが、いまでもまだ心に残っています。
自分が作り上げた動画がだれかの笑顔の基や感情を豊かにできることを、その時改めて実感しました。
▲志穂部長がジュニアボード第2期メンバーの代表として全納会に登壇された時の写真です
目標は「クリエイティブの力で日本と外国の架け橋になること」
今の私の一番の目標は、「自分のVPPを探して、それで組織に貢献すること」です。(VPP=バリュープロポジション。ここでの意味は“私だからこそ発揮できる強みや価値”です)
私はクリエイターとしてはまだまだですが、自分で唯一の強みだと思っているのは、海外で育ったからこそ培われた独特な視野や、英語と中国語ができる言語能力です。
今はまだメディアクリエイト課では海外に関係するお仕事はあまりない状態ですが、海外のクライアントや英語の動画の制作が必要となった時にフロントに立って任される人材になりたいです。そのときはきっと、自分の価値、強み、個性などを全て引き出せるんじゃないかと思っています。
DS事業部では、海外IT人材と日本企業の架け橋を創る仕事を頑張っていましたが、今度は私がクリエイティブの分野でも、日本と外国の架け橋になりたいです。
以上、タカハシでした!